2022年に世界で起きた混乱は、まさに「不確実性」が具体的な姿を現したものといえるでしょう。その混乱は間違いなく日本にも影響を及ぼし、生活者一人一人の価値観を変え続けています。では、その価値観の転換は、大きな混乱を経て迎える2023年、あるいはその“少し先”の未来においてどのように社会にフィードバックされるのでしょうか。このレポートでは6人の識者にお話を伺い、2023年に企業が取り組むべきコミュニケーション課題とそのソリューションを見いだす糸口を、五つのテーマの下にひもときます。

 

これからの[ライフシフト]

いまこそ企業に求められる「トライ&エラー」

「人生100年時代」を提唱し、長期的な視点でのキャリア構築の重要性を訴える『ライフ・シフト』が刊行されたのは2016年のことでした。2023年とその先を見通す今回のレポートでは、人びとの意識、価値観の転換としての「ライフシフト」に注目します。コロナ禍においては、より広くSDGsや多様性の重要性を問い直す議論が多く生まれました。まさに世界的なパラダイムシフトが起こる中で、日本企業はどう振る舞い対応するべきなのか。世界規模で長期的な視点が求められるこれからのビジネスの在り方について、SDGインパクトジャパン代表の小木曽麻里さんにお話を聞きました。

小木曽麻里(こぎそまり)/SDGインパクトジャパン共同設立者兼Co-CEO。インパクトベンチャーファンド、ESGエンゲージメントファンド、インパクトアドバイザリー等を通じ、「意思あるお金」によるSDGsの実現に携わる。世界銀行(資本市場専門家、MIGA東京事務所長)、ダルバーグ日本代表等を経て、ファーストリテイリングではダイバーシティのグローバルヘッドおよび人権事務局長を務め、現在に至る。

 

 

個人の生存戦略としてのSDGs

いまでこそSDGsは当たり前のように世間にあふれていますが、実のところ、SDGsというフレームワークそのものは、ここ7年ほどのものでしかありません。私が日本長期信用銀行を経て留学し世界銀行に入行した約20年前はまだSDGsという言葉そのものもなかったわけで、いま世界中の企業がSDGsに取り組んでいることを思うと、価値観の急激な変化に驚かずにはいられません。

正直なところ、今回お話しするテーマである「ライフシフト」とSDGsとを、いままで結びつけて考えたことはありませんでした。ただ、この20年の価値観の変化を踏まえて考えると、ライフシフトはSDGsと極めて近い考え方であると感じます。ライフシフトの考え方は、変化していく世の中や価値観に対し、多様な価値観を受け入れて柔軟に対応していく能力を必要とするものです。

私自身、日本企業の中では当時まだ数が少なかった〈総合職の女性〉というマイノリティーでした。米国で勤務していたときは〈東洋人〉というマイノリティーであり、企業勤めの後は一般企業でなく〈非営利組織の人〉という日本においてはマイノリティーとなりました。こうした経験が、より多くの社会課題に向き合い、より多くのマイノリティーの意見を取り入れようという発想につながったように感じます。SDGsには「誰一人取り残さない」という原則がありますが、人が生きる時間が長くなり、より精神的なウェルビーイングが必要とされるいまこそ、社会の中で支え合う/共創する行為が必要とされるのも必然だといえるでしょう。

一方のライフシフトもまた、人がこれからの長い人生を生き延びるための生存戦略だとされますが、SDGsという価値観と同じ部分があるように感じます。企業の視点のみでなく、社会や個人のウェルビーイングといった多様な経験・視点、つまりSDGs的な価値観を持った人材は今後、より必要とされるでしょう。

 

SDGsに対する日本企業の誤解

では、改めてSDGsのお話をしましょう。

私は仕事柄、企業の方々から、社会的なリターンと同時に財務的なリターンも目的とする「インパクト投資」に関するお問い合わせを数多く頂きます。その際にお話をよく聞いてみると、SDGsとインパクト投資、あるいはESG投資を一緒くたにして考えていらっしゃる方がとても多いと感じます。端的に言えば「もうかるならSDGsをやってみたい」という考えです。

そもそもインパクト投資は、持続可能な社会的インパクト(脱炭素など)に注目し、社会的収益と同時に投資収益を得る投資手法の一つ。一方の「ESG投資」は、ESG(環境・社会・ガバナンス)を投資判断に組み込むことで、より高いリターンを得ようとするものです。インパクト投資、ESG投資は本来、それぞれ目的が異なるものであり、しっかりと区別されるべきものなのです。

一方でSDGsは、一言で言えば、人類が目指すべき目標を集めたものです。その要諦は、前述したとおり「誰一人取り残さない」、つまりマイノリティーなど一番困っている人をまず助けようという点にあります。であればこそ、ビジネスとしての側面はその一部分に過ぎず、究極的には「人間はどうあるべきなのか」という問いを私たちに突きつけてくるものだと考えるとよいでしょう。企業に問われているのは、この視点をどのようにビジネスに取り入れられるのかであって、もうかるところだけやればよいということではないのです。

特に近年、さまざまな旧来の社会システムが大きく変化し、何をもって信頼すべき基準とするのか判断しづらくなっています。自分たちが人類としてどう振る舞うのかという問いは、特にこれから長い時間を生きる若い世代にとってはより大きな関心事として響いています。例えば、ロシアのウクライナ侵攻の影響で今後の食料安全保障はどうなるのか。温暖化による気候変動で食料生産はどうなるのか。ソーシャルメディアの普及も相まって、社会問題をより自分事化しやすくなり、人びとの価値観は大きくシフトしています。

であればこそ、ビジネスについての議論も、より広く長期的な視野にシフトするのが当然です。「お金をもうけるにはどうするべきか」という問いが、「持続可能な未来と自分たちの残りの人生をいかに幸せに生きるべきか」という問いに変わってきたのも、当然といえるかもしれません。

 

若いリーダーによるルールセッティング

ここで言いたいのは、何も「資本主義から脱却しよう」というメッセージではありません。どのような社会システムの下であっても、その社会システムの根本を支える人びとの意識、価値観が変化している=ライフシフトは起きていると言えます。

事実、世界の気候変動の解決にコミットするテックスタートアップが続々と登場し、次のユニコーン企業候補も出てきています。同時に巨額のお金も動いています。

従来、企業においてCSRや社会課題分野は「コスト」と見なされてきました。ところが、気候変動を中心とした地球規模のテーマが議論される中で、ビジネスとして取り上げられる機会も大きくなり、いまや世界の経済の中でも“ど真ん中”のテーマとなっています。

また、欧米では、若いリーダーたちが、今後の社会はどうあるべきかという議論を進めています。電気自動車(EV)の義務化をはじめ、政策上のルールセッティングを含めた行動も見られます。残念ながら、現在の日本は常に後追いの状態が続いていると言わざるを得ません。この分野でもより強いリーダーシップが国際社会で発揮される必要があるでしょう。

 

個人のライフシフト、組織のライフシフト

近年、多様性の概念が、非常に身近なキーワードとして立ち上がってきました。

いま、多くの企業の経営陣やマネジメント層が、多様性を社内に取り入れようとさまざまな手段で努力しています。また一部では、女性や若い世代を経営陣に取り入れようとする動きも見られます。しかし実際のところ、「女性であること」「若く優秀なこと」そのものは、本質的に重要な要素ではありません。重要なのは、既存コミュニティーの中に「新しい角度の意見を取り入れていること」なのです。

その意味でいえば、多様性ある組織においては20代の意見も50代の意見も等しく対等であり、そこにあるのは役割の違いでしかありません。

企業においては、誰が一番偉いのか、あるいはどの部署がメインストリームなのか、ではなく、全ての人が最大限の能力を発揮できるよう、それぞれを補完し合う存在としての組織の在り方へシフトしていかなくてはならないでしょう。であればこそ、全てのビジネスに関わる人が50代、60代になったとき、自分だけの引退ルートを考えるのでなく、若い世代を応援する立場になったと自覚し、どのように20代や30代と関わるべきなのかを活発に議論することができるのではないでしょうか。

では、誰がその議論を始めるのか。私は、組織のトップがその役割を担うべきだと思います。例えば多様性について発信しているリーダーの多くは、以下三つの論点を挙げています。

一つ目は、経済合理性だけではなく、人権を尊重すること。日本では表面化こそしていませんが、企業は肌の色や人種、文化の違いなどに対しても理解を示す必要があるという論点です。それぞれの意見といった認知的な多様性だけでなく、目に見える表層的な部分に対しても企業は取り組まなければなりません。そして、取り組んでいない企業は、「イケてない」と周囲から見られてしまうのです。

二つ目は、多様性を体現する企業の価値が伸びていること。これは、グローバル企業を見れば一目瞭然ですが、多様性に富む企業の時価総額は軒並み上がっており、かつ収益性も高いのです。多様性を高めることで、より収益を上げられる可能性があるのです。

三つ目は、上記と関連していますが、多様性を推進すると採用面でいい人材が確保できるということ。特にZ世代の若者は、多様な価値観やルーツを持つ人を受け入れる企業に入社したいと考えています。優秀な若者がいま何を考え、どのような価値基準で動いているのかについて、企業はしっかりと把握していかなければなりません。

近い将来には、多様性を理解している彼らがリーダーとなり、より迅速な意思決定をさらに推し進めていくでしょう。

 

長い目で見る、ただし臨機応変に

「どのように進めるべきか、一番よい方法を教えてください」。これは、私がSDGsや多様性に関する話題で、よく聞かれる質問です。

企業に求められるものが「働き方の柔軟性」や「社員の自己実現につながるやりがいのある職場」であるトレンドは、これからも変わらないでしょう。寿命が伸びキャリア形成も複雑になる中では、なおさらです。多様性についても同様です。ですが、それらを実現する唯一の“解”は存在しません。企業を取り巻く条件は国やカルチャー、業種など千差万別で、そこでは実際に機能する施策もタイミングもまったく異なります。

有名な大企業がSDGsの推進企業として評価されたとしてもそこに再現性はなく、企業それぞれが、まず小さなところからやってみて、社員のエンゲージメントを上げられるような戦略を考えていく「トライ&エラー」が必要です。

多様性の実現には、すべからく時間がかかります。この分野で有名なユニリーバやP&Gといった企業は、20年以上も取り組みを続け、現在の成果を上げています。すぐに目に見える成果を出すことは難しいことかもしれませんが、しっかりと社外に取り組みをアピールし、それが評価や戦略にひも付くような組織、システムが今後は全ての企業にとって重要なのではないかと思います。

SDGsに関しても、自社でしっかりと中長期的なブランディングやパーパスとして推進していくものなのか、ビジネス観点でのKPIを設定して戦略としてやっていくのか、そうした区別と判断、実行をトップがしっかりとやる必要があるでしょう。また、そのような企業はこれから起こる個人のライフシフトとも非常に相性がよく、やる気もパフォーマンスも高い従業員の獲得につながり、一層企業価値を高めていくことができるでしょう。

日本でも今後、企業を中心にさまざまな角度から活発な議論が行われることを期待したいです。

 


 

■編集後記

日本最大級のLGBTQ+のイベント「東京レインボープライド」が就活生の“企業選定の場”となっていることをご存じでしょうか。
「“性”と“生”の多様性」を祝福するイベントとして開催され、この編集後記を執筆しているトレンドレポート2023編集部の山下も東京レインボープライド2022に参加しましたが、交流した来場者の中に企業選定中の就活生が一定数いたのはやはり印象的でした。
小木曽さんのインタビューからも、Z世代の若者が「多様な価値観やルーツを持つ人を受け入れる企業に入社したい」と考えていることがうかがえます。
「ライフシフト」の流れを読み、人々の意識や価値観の転換に敏感であることは、“選ばれる企業”ないしは“生き残る企業”としても重要なミッションであると考えられます。
「唯一の正解はない」という世の中の複雑な課題に根気強く向き合っていくことが、これからますます求められていくのではないでしょうか。

 

これまでの記事
① [ウェルビーイング]新しいビジネスモデルとしてのウェルビーイング/北川拓也さん
https://www.dentsuprc.co.jp/pr/trend/20221221.html

② [ソーシャルメディア]キーワードはカルチャー、レコメンデーション、クリエイター/宮武徹郎さん
https://www.dentsuprc.co.jp/pr/trend/221223.html

 

監修・協力

年吉 聡太
SOTA TOSHIYOSHI

編集者。『暮しの手帖』などのライフスタイル情報誌の雑誌編集に携わったのち、
『ライフハッカー[日本版]』をはじめとするデジタルメディアの編集長を経験。
2014年コンデナスト・ジャパンに入社し『WIRED』日本版副編集長を務める(〜17年)。
2020年から、米ビジネスメディア『Quartz』の日本版創刊に参画し、日本版編集長を務めた。
2022年10月よりフリーの編集・ライターとして活動。

 

電通PRコンサルティング トレンドレポート2023 編集部
中沢 麻衣
MAI NAKAZAWA
岩澤 俊之
TOSHIYUKI IWASAWA
佐藤 涼
RYO SATO
細田 知美
TOMOMI HOSODA
渡邊 雄紀
YUKI WATANABE
西山 大地
DAICHI NISHIYAMA
浅井 佑太
YUTA ASAI
山下 奈々
NANA YAMASHITA