2022年に世界で起きた混乱は、まさに「不確実性」が具体的な姿を現したものといえるでしょう。その混乱は間違いなく日本にも影響を及ぼし、生活者一人一人の価値観を変え続けています。では、その価値観の転換は、大きな混乱を経て迎える2023年、あるいはその“少し先”の未来においてどのように社会にフィードバックされるのでしょうか。このレポートでは6人の識者にお話を伺い、2023年に企業が取り組むべきコミュニケーション課題とそのソリューションを見いだす糸口を、五つのテーマの下にひもときます。

 

これからの[ウェルビーイング]

新しいビジネスモデルとしてのウェルビーイング

2023年、あるいはその先を見通すキーワードとして、電通PRコンサルティングのトレンドレポート2023編集部では「ウェルビーイング」を取り上げることにしました。ウェルビーイングという言葉そのものは、すでに多くの場所で語られてきました。しかし、未来への不安が現実のものとして突きつけられている今こそ、その可能性を改めて考える必要があると考えたからです。今回お話をお伺いしたWell-being for Planet Earth理事を務める北川拓也さんの言葉からは、いまはまだ見えていない(しかしそこには確かにある)ビジネスを推し進める新しい力としてのウェルビーイングの姿が見えてきました。

北川拓也(きたがわたくや)/Well-being for Planet Earth理事。理論物理学者としてハーバード大学で博士号を取得後、2013年に楽天入社。常務執行役員CDO(チーフデータオフィサー)兼楽天技術研究所グローバル所長としてAI分野の戦略・執行を統括。2018年に設立された公益財団法人Well-being for Planet Earthにて理事を務めている。

 

日本語にするとしたら「いい感じ」

一般的に「ウェルビーイング(well-being)」とは、身体、精神、あるいは社会的、金銭的な面も含んだ、多様な意味での「健康」を指すとされています。

私が所属する財団の仲間たちでこの英語をいざ訳そうとしてたどり着いたのは、「いい感じ」という日本語でした。人が主観的に「いいよね」と思えること、自分にとって気分良く感じられること。すなわち「いい感じ」だと思える状態をウェルビーイングと言えばいい、という結論に至ったわけです。

ウェルビーイングは、そこに「ニュアンス」が含まれるという点がポイントです。いわゆる「ハピネス」な状態──お金があってうれしいだとか、楽しいことがあって興奮するといった一軸のものではなく、より多次元的です。

人は誰しも、生きていればさまざまな状況を抱えています。昨日つらい出来事に遭ったり、あるいは将来のことが不安だったりもするでしょう。必ずしもいまこの瞬間が幸せでなくとも、複雑な過去・現在・未来を全て含んだ上でトータルしてみたときに、自分が「いい感じ」であるといえること。そういった状態を「ウェルビーイングである」と捉えると、このコンセプトに対する理解がより深まると思います。

 

顧客が「本当に」求めているもの

ウェルビーイングが企業やブランドにとってこれからさらに重要になる理由は、なにより顧客がそれを求めるようになってきているからだといえます。

従来、あらゆるビジネスモデルは、「足る」ためにデザインされてきました。例えば、無い時間をつくり出すために洗濯機が開発されたり、家庭では食べられなかったものを食べられるようにするために食品会社が生まれたりしてきたわけです。

それがいまでは、先進国を中心に「イナフ・イズ・イナフ(Enough is enough、もう十分)」という考え方が普及しつつあります。満足することを知らずに働き続けた結果、「それで自分が本当にやりたかったことは満たされたのか」「ウェルビーイングは高まったのか」という疑問が生まれてきたのです。

ここで起きるパラダイムシフトは、「第二のルネサンス」とも呼べる大きな転換です。15世紀以前のヨーロッパで、神への信仰のみを追い求めて人間性をおろそかにした時代があったように、いま、お金のことを信仰するあまり人間のことを見失ってきたことが反省され始めている。つまり、いま世界はかつてのルネサンスと同様に、再び「人間回帰」している段階にあるといえるのです。

 

「売る」から「手伝う」への転換

このパラダイムシフトを考えれば、企業がウェルビーイングに注視すべき理由も立ち上がってきます。

ウェルビーイングは、いわゆる「カスタマーセントリック(顧客中心)」と呼ばれるものの、さらに一歩先にある考え方を提示しています。そもそもモノにしろサービスにしろ、かつては「プロダクトをつくって売れば、それを欲しがっている人は買うだろう」という発想の下に生み出されてきました。そうした姿勢はやがて、「そのプロダクトを、誰がどのような文脈でどう使うかを考え、自分たちのブランドが愛される理由を理解しよう」という顧客中心の考え方へと変化します。企業は「自らの売り上げを最大化するために、顧客の立場に立って考えてみよう」とし始めたわけです。

さらにその先にあるのは、「ブランドは、顧客の人生をいかにサポートできるか」という考え方への転換です。「顧客のウェルビーイングを最大化するために、ブランドはどう手伝えるのかを考えてみよう」というわけです。

逆に言えば、そこまで踏み込まなければ、もはやブランドは愛されなくなるともいえます。従来のブランドにおいて、顧客は必ずしも自らの消費の理由、あるいは求める世界観を宣言できるわけではないという立ち位置にありました。それは顧客の方も同様で、むしろブランドに世界観をリードしてもらいながら、その世界観の上に自分自身を乗せられてこそ、ブランドを愛することができていたのです。

一方、ウェルビーイングが重視される社会では、企業の使命には、一人一人の顧客自身が憧れる世界を見せるお手伝いをすることが含まれるでしょう。

もっとも、これは決して難しい話ではありません。企業は、自分たちが顧客の中に生み出している「いい思い出」が何かを考えればいいのです。さらに、どんな体験を提供しどんな思い出を届けることで自分たちがうれしくなるか(=ウェルビーイングなのか)を考えればいい。従来の企業の多くはそれを軸にビジネスモデルをつくろうとしてこなかったものの、中には直感的に自分たちがどんなウェルビーイングを生み出しているかを理解していた経営者もいたはずです。要は、「これからは、そのウェルビーイングを優先してください」という一言に尽きるのです。

 

日本には「準備ができている」

日本のウェルビーイングに対する許容度は、海外、特に米国に比べると圧倒的に高いと感じます。ウェルビーイングについて議論するときの「受け入れやすさ」は、非常に大きいともいえるでしょう。それはトップ経営者、いわば「資本主義の頂点」にある人たちこそ顕著で、彼らと対話すると、心の底からウェルビーイングが大切だと考えていると実感できます。実際に、全社を巻き込んだウェルビーイングへの取り組みをトップダウンで断行し、無茶だと思えるほどの規模で実践する企業もあるほどです。

日本には「お金第一主義」ではない経営者が多く、独自の「三方よし」という考え方もある。さらに利益よりも関係者全員が得をすることを優先する構造が定着しているのも、ウェルビーイングへの親和性が高いといえる理由です。

海外を見渡したとき、北欧における取り組みが進んでいるという意見は、確かにその通りです。しかし、面白いことに、北欧において人びとのウェルビーイングをつくり出しているとされるサービスをそのまま日本に持ってきたところで、日本人がウェルビーイングになれるかというと、それはまた別の話です。逆に、海外からの旅行者が日本国内を旅してお茶を飲んだり温泉に入ったりして、その体験に感動していることを考えると、国ごとにウェルビーイングの概念は異なっているといえるのでしょう。

日本人がウェルビーイングと親和性が高いというのは、あくまで「そのコンセプトを受け入れる準備ができている」ということでしかありません。日本人がみなウェルビーイングなのかというとそうではないし、現時点では日本に他国と比べて特別にウェルビーイングに寄与するサービスが多いわけでもないと思います。

 

テクノロジーが可能にする「対話」

ここまでお話ししてきたように、ウェルビーイングは「人と人との関係性」の話であり、世の中の問題を解決するようなソリューションではありません。「全ての病める人を健康にしよう」というようなヘルスケア・ウェルネスの文脈で語られるべきコンセプトではなく、むしろ、TwitterやInstagram、TikTokのように、そもそも問題のなかったところに生まれ、気付いたらみんなが熱中し当たり前として受け入れるようになっていったものに近いといえます。その点でいえば、ウェルビーイングはB2BよりもB2Cの観点から推進されていくといえます。

であればこそ、ウェルビーイングにはWeb3、ブロックチェーンといったテクノロジーが活用される可能性も生まれると考えています。

ブロックチェーンは、デジタルによって信頼性を担保するテクノロジーです。あらゆる「取引」はお互いに対する信頼があってこそ成り立つわけですが、ブロックチェーンはデジタル上の「証明書」として機能することで信頼を担保し、見知らぬもの同士の金銭のやり取りを可能にしました。

これは金銭だけでなく、コミュニケーションについても同様に機能しえます。例えば、インターネット上に、「同じブランドのランニングシューズを買った」という「証明書」を持つユーザー同士が集まれるコミュニティーがあれば、そこでの会話は従来のソーシャルメディアより信頼性が高いものになるでしょう。もっと細分化して、「毎日7キロのランを日課にしている目黒区民」が集まるコミュニティーが、確たる信頼の下で形成されれば、そこでの関係性はより深いものとなるはずです。

ウェルビーイングは「関係性」の話であるという観点で見ると、信頼のなかった場所に信頼を担保するテクノロジーには、大きな可能性を感じています。

 

「ビジネスモデル」としてのウェルビーイング

従来の資本主義の論理は、短期的なモチベーションを上げるのに非常に有効でした。仕事の成果を上げ、起業や、プロジェクトの立ち上げを推進してきました。一方で、ウェルビーイングの視点は長期的になりがちです。両者のバランスを取っていくことは容易ではありませんが、だからこそ、今後20年で生まれるビジネスモデルは、そのバランスをうまく調整するようにデザインするものへと転換していくでしょう。

人間は、得てして短期的な目標に向かいがちです。だからこそ、短期的な目標を一つずつ達成しながら長期的なウェルビーイングを達成できるビジネスモデルこそがより愛されるようになります。

その一例がSDGsです。目の前に「おいしいけれどCO2をたくさん排出してしまうもの」と「CO2は出さないけれどまずいもの」があったとき、前者に手を出してしまうのが、人間です。であればこそ「おいしい上にCO2を出さないもの」をつくり上げるビジネスモデルが生まれ、あらゆる領域に浸透していくことが求められます。

とはいえ、これからウェルビーイングが、マーケット全体の100%を占めるあらゆる事業を推進することになると断言はできません。しかし、それが5%であろうが10%であろうが、このテーマによってやる気を出す人が増えるのは間違いありません。「マーケットシェアが大きくとも伸びない領域」よりは「シェアが少なくとも伸びている領域」に関われる方が、人はやる気が出るものです。

ビジネスとは、すべからく「やる気」が出るかどうかだと思っています。自分たちの関わる事業によってマーケットが動けばやる気が出るし、自分たちが提供するプロダクトを顧客が欲しがればやる気が出る。さらに経営者目線でいえば、自らのビジョンの下で会社を立ち上げたときに人がついてくればやる気が出るでしょう。そう考えたとき、ウェルビーイングとは人にやる気を出させてくれる大きなテーマになり得るのではないか、という仮説も持っています。

ウェルビーイングは第二のルネサンスである、と先ほどお話ししました。15世紀のヨーロッパで起きたルネサンス運動は多くのアーティストを生み、彼らの作品は数百年後のいまも愛され続けています。つまり、人類には「正しい」ものを見定めるエモーショナルなセンサーがあり、そのセンサーはウェルビーイングを指し示しているとも思っているのです。

 


 

■編集後記

「好きなことをして生きる」というフレーズは近年盛り上がりを見せているテーマですが、その実現には“自分らしさ”や“人間らしさ”が重要視されます。

この“自分らしさ”や“人間らしさ”を感じられる状態でなければ、本記事でも言及されている「やる気」というものは生まれないことでしょう。そのため、ウェルビーイングであるということは今後、個人的にも、ビジネスにおいても、その集合体である社会の状況にとっても、求められる状態の一つとなっていきます。

ビジネスにおいては、イメージ先行的なブランドの在り方ではなく、顧客との対話を重視し、互いにとってベストな体験や思い出はどういったものなのかを探っていくことがウェルビーイングに直結していきそうです。そう考えると、そのベストな状態を見つけ出すためにPRが欠かせない存在となっていくはず。なぜなら、PRは個人と組織の望ましい関係をつくり出せる手法であり、一つのファクトに対して、さまざまな文脈を見つけ出すことで、一面的な視点では気付けないファクトの多面的な「いい感じ」を引き出し、訴求することができるからです。「人と人の関係性」をよりよいものとするため、ウェルビーイングとPRはシナジーを生み出せる関係性となる可能性を秘めています。

 

監修・協力

年吉 聡太
SOTA TOSHIYOSHI

編集者。『暮しの手帖』などのライフスタイル情報誌の雑誌編集に携わったのち、
『ライフハッカー[日本版]』をはじめとするデジタルメディアの編集長を経験。
2014年コンデナスト・ジャパンに入社し『WIRED』日本版副編集長を務める(〜17年)。
2020年から、米ビジネスメディア『Quartz』の日本版創刊に参画し、日本版編集長を務めた。
2022年10月よりフリーの編集・ライターとして活動。

 

電通PRコンサルティング トレンドレポート2023 編集部
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