私も会員となっている日本パブリックリレーションズ協会(PRSJ)の国際・交流委員会では、女性のエンパワメントと、会員同士のネットワークを築く目的で、各界の女性リーダーをスピーカーとする「They Talk Forum」を随時開催しています。6月16日には、日本テレビ放送網(以下、日テレ)の映画プロデューサー谷生俊美氏が登壇。「誰も歩いたことのない道を~〝Embrace yourself!”自分を抱きしめて生きるということ~」というタイトルで、ご自身の半生とトランスジェンダーとしての悩みや葛藤、その先に到達した現在の幸福について語ってくださいました。講演後には参加者との交流もあり直接お話もできたのですが、女性とか男性とかは関係なく、人として格好いい、とても素敵な方でした。

谷生さんは1973年に男性として生を受け、幼少期から「いつか女の子になりたい」と夢見ていたが、果たせないまま男性として2000年に日テレに入社。報道記者として12年にわたって国内外で活動し、カイロ支局から帰任した2011年頃から女性になるためにクリニックへ通い、40歳前後からトランスジェンダーとしての生活を開始。2018年から2020年には同局「news zero」で準レギュラーコメンテーターとして活躍しました。谷生さんの劇的な半生については、まもなく発刊される自著「パパだけど、ママになりました 女性として生きることを決めた『パパ』が、『ママ』として贈る最愛のわが子への手紙」で詳しく紹介されるらしいので、是非多くの方に読んでいただきたいと思います。

谷生さんのお話で特に印象に残ったことをいくつか紹介したいと思います。
一つは、谷生さんのカミングアウトを支援したよき理解者が当時の女性上司だったということ。谷生さんによると「女性のほうがフレキシブルだった」そうです。もちろん個人差もあることですが、自分も女性なので、ちょっと嬉しかったし、そういう人でありたいと思いました。

二つ目は、女性として生きるようになっても、男性だった人生を否定するのではなく、これまでの人生の延長として位置づけているということ。それを聞いて素直によかったと思ったのです。トランスジェンダーの方には、性転換後に人生をリセットするという選択肢をとる方もいるとのことで、そういう選択を迫られるということを、自分が今まで考えてもみなかったことにも気づかされました。

三つ目は、カミングアウトした後に、呼吸が楽になった、のびのびできるようになったと話されたこと。もちろん、谷生さんがそう感じられる環境があったから楽になったわけで、環境的にカミングアウトできない方、したけれど楽にならなかった方も多く存在することが想像できます。周りの理解が何より必要だし、谷生さんの「カミングアウトが普通にできる社会にしていかなければならない」という発言に共感しました。

四つ目は、自著を執筆した理由のひとつとして、「自分の子どもは〝いわゆる普通の″家庭で生まれてこなかったことで、将来いじめにあうかもしれない。だから両親がどういう思いでこの家庭を築いたのかをきちんと書き留めておきたかった」と話されていたこと。楽になったと語っている谷生さんでも、将来の子どもへのいじめを心配しなければならない。このような社会は変わらなければならないし、お子さんが思春期になったときに、谷生さんの心配は杞憂だったね、といえる世の中となるように少しでも貢献したいと思いました。

性的マイノリティといっても、1人ひとりの考え方や環境、課題は全く異なるものであり、実際にお話を聞いてみないとわからないことがたくさんあると気づく機会にもなりました。こうしてお話を聞くことでわかってくることがあるので、今回は大変貴重な機会になりました。