この記事は時事通信社『地方行政』2022年2月17日号に掲載された記事です。
時事通信から転載許諾をとって掲載しております。


 

 地方自治体の「持続可能な開発目標(SDGs)」に関する取り組みをめぐっては、連載第3回(2021年12月2日号)でゴール11「住み続けられるまちづくりを」、第6回(1月20日号)と第7回(2月3日号)では、全体を通じた理念「誰一人、取り残さない」で表されている「多様性」の重視について触れた。今回はゴール13「気候変動に具体的な対策を」に付随するターゲット13─3「気候変動の緩和、適応、影響軽減及び早期警戒に関する教育、啓発、人的能力及び制度機能を改善する」について、海外の自治体による取り組み事例を紹介しながら論じたい。

サッラ2032

 北欧フィンランドの北部・ラップランド地方にあるサッラは人口約3400人の小さな町で、北極圏に位置する。ラップランドといえば、トナカイ、サンタクロース、オーロラが有名であるが、「地球で最も寒い町」の一つで、気温がマイナス50度に達することも珍しくない。クロスカントリースキーなど、冬のスポーツが盛んな地域である。
 21年1月26日、そのサッラが記者会見を開き、32年の夏季五輪・パラリンピックの招致に名乗りを上げた。そのニュースはロイター通信など国際メディアによって瞬く間に全世界を駆け巡った。

背景

 北極圏は、地球温暖化の影響を最も強く受ける地域である。国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」が07年に発表した第4次報告書によれば、20世紀の100年間で地球の平均気温は約0.74度上昇したが、北極では2度以上も上昇したという。
 しかし、この報告書も21年5月、フィンランドを含む北極圏8カ国などから成る「北極評議会」(日本もオブザーバー参加している)の下部組織・北極圏監視評価プログラム作業部会が発表した文書「北極気候変化のアップデート2021:主な変化傾向と影響」によって覆されることになった。1971〜2019年の半世紀に満たない間に、北極の年平均気温は3.1度上昇したというのである。一方、地球全体では1度上昇したと発表した。国連がまとめた従来の推定を上回る速さだ。
 32年は、気候変動に対する闘いのターニングポイントになる。もし今、行動に移さなければ取り返しのつかないことになるのである。地球環境の統計資料をライブで提供するデンマークのウェブサイト「The World Counts」によると、21年1月現在で既に人間の活動によって86億㌧もの二酸化炭素(CO2)が大気中に排出され、1495億㌧の氷が解けたという。こういった懸念すべき数値があるにもかかわらず、気候変動の危機は多くの人々にとって、どこか遠くで起きている出来事であり、解決不可能な問題であると捉えられている。
 フィンランドのサッラは北極圏にあるため、気候変動の影響をかなり感じていた。景色を覆う氷が解け出し、気温は上昇、冬がだんだん短くなってきている。今日のサッラは、未来にはその姿を変えているであろう。サッラは町全体が雪を売り物にした観光に依存しており、その小さな町をガイドブックの地図に残したいと希望していた。そして人々がサッラについて、良い意味で語ってくれることを願っていた。

人々を動かすアイデア

 サッラは、21年に開催される世界最大のイベントをハイジャックすることにした。32年夏季五輪・パラリンピックを世界で最も寒い町に招致しようとしたのである。尋常でないアイデアではあるが、伝えるメッセージは極めて真っ当という、あり得ないキャンペーンを打ち上げた。
 ブリスベン(オーストラリア、開催地に決定)、ソウル・平壌(韓国・北朝鮮)、ジャカルタ(インドネシア)、ニューデリー(インド)、イスタンブール(トルコ)など、多数の都市が招致に名乗りを上げる中、サッラは勝算を見込んで手を挙げたのではない。世界で最も寒い町は、とっておきの武器を隠し持っていた。
 このキャンペーンはラップランド観光局によって企画・実施されたが、目的は観光誘致というより環境啓発である。サッラは通常の招致活動と同じように、必要なステップを踏んでいった。プロモーションビデオ、ロゴ、招致のための印刷物、土産品、スポーツのピクトグラム(絵文字)、マスコットなど、招致に必要なものを制作した。

雪が解ける山をイメージした「サッラ2032」のロゴ(ラップランド観光局〈House of Lapland〉提供)

 これらの制作物とは別に、一人ひとりの市民が、また個々の企業がより持続可能性を意識し、それぞれの役割を果たせるか、またどのようにして気候変動と闘うことができるのかを世界に訴えていった。ただ単に、サッラを寒い町として保つだけではなく、気候危機が世界中で避けられなくなるような事態を食い止めたかったのである。
 「世界で最も寒い町の一つが夏季五輪・パラリンピックを招致する」というのは、単純なキャッチコピー以上のものであった。サッラの町中が結集し、約3400人の全住民がこのアイデアを受け入れたのである。
 彼らはこのアイデアがうまくいくと信じ、夏季五輪・パラリンピックを開催するかのように演じた。彼らは重要なことを行っているという信念を持っており、サッラは招致活動に要求されるあらゆることに対応するよう、キャンペーンを展開していった。正式に決められたすべてのステップを注意深く研究し、このストーリーが必要な耳目を集められるようにした。

PR戦略

 サッラは実際の招致候補地が行う、あらゆることを実施した。まずは招致のためのプロモーションビデオとウェブサイトの制作から取り掛かった。そして、プロモーショングッズの一式をインフルエンサー(インターネット上で影響力のある人)やジャーナリストに配布し、招致を後押しするよう働き掛けたことで、招致活動に関するストーリーが瞬時にニュースとなっていった。
 プロモーションビデオは、世界的な温暖化に触れずに編集された。お披露目の後、フルバージョンのビデオが公開された。キャンペーンの主体となったラップランド観光局とサッラの町にとって、町長から住民まで一丸となり、このキャンペーンをサポートするということが重要となっていた。
 住民は、夏季五輪・パラリンピックを開催するという前提で生活を送った。招致のニュースが報道され、人々の話題に上るようになるや、この尋常でないアイデアの背景にある真面目なメッセージが発表された。スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさんが率いる「未来のための金曜日」からのサポートも、このキャンペーンに対する信頼性を与え、世界的な温暖化に対する闘いで皆が毎日できることを示す上で、非常に重要な役割を担った。

キャンペーンの実施内容

 プロモーションビデオは、サッラの住民が32年夏季五輪・パラリンピックに参加する意欲を見せる、非常にユーモラスな内容となった。
 まず、住民の一人が「私は今まで暖かさを感じたことがない。でも、それはきっとやってくるだろう」と話す。これに対し、「12年以内に氷は解け、この湖は(泳ぐのに)完璧になるさ」と、別の住民が凍った湖の岸辺で語る。そして、3番目に登場する住民は「私は雪が解けるのが待ち遠しい」と、サーフボードで雪山を滑り降りる。しかし、最後は「お願いです。この大会の開催を実現させないでください。賛成の方はいる? サッラを救おう。地球を救おう」というメッセージで締めくくられる。
 他の都市はインフラをアピールしていたが、サッラは気候危機を前面に出したのである。この皮肉を込めたコンテンツは、ウェブサイトとソーシャルメディアでも公開された。サッラの住民はマスコットのデザインから、町長がスイスにある国際オリンピック委員会(IOC)に正式に招致を宣言しに行くまで、真面目に取り組んだ。
 このストーリーがメディアで報道されるや否や、記者会見が開かれ、世界59カ国のフィンランド大使館がそれぞれの国で拡散を図った。そして、五輪・パラリンピック招致の裏側にある真の目的が明かされた。最後には、招致に関するあらゆるコミュニケーションが「サッラを救え、地球を救え」というメッセージに変わった。
 キャンペーンは、差し迫った気候危機に直面する町で、実際にそこで生きる人々を見せることにより、問題をより「自分ごと」化するように設計されていた。同様に、「サッラを救え」というウェブサイトに投稿された情報は、一般の人々と企業の双方に行動可能で到達可能なゴールを提示した。

プロモーションビデオで、雪上でビーチバレーをする2人(ラップランド観光局提供)

キャンペーンの成果

 元フィンランド大統領やグレタさん、ブラジルのポップスターであるアニッタさんら、多くの有名人が自ら情報を拡散するなど、大きな反響が起きた。またサッラをまねて、「南極2032」「オイミャコン(ロシア)2036」「シベリア2036」といった数多くの夏季五輪・パラリンピック招致のパロディーキャンペーンが立ち上がり、オンライン上の会話を活性化し、世界中の人々の注目を集めることに成功した。
 中国からパラグアイまで、さまざまな職業や地位の人々が、真面目なメッセージを伝えるこの尋常でないアイデアについて語り、さらに拡散していった。オフィシャルグッズを買いたい、ポスターが欲しいという問い合わせも来た。
 広告には全く頼らず、世界的な温暖化に関する議論がニュースとなり、世界118カ国で1237件もの報道が行われた。日本でも朝日新聞や東京新聞などが、サッラの五輪・パラリンピック招致を報じている。
 このストーリーは7兆5860億ものメディアインプレッション(推定閲覧回数)を獲得し、ソーシャルメディアでは2億2600万人に情報が到達した。ツイッターでは記者会見後の3週間、サッラは最も多く語られた町の名前となり、「サッラ」の掲出回数は120万回に上った。
 さらに、このユーモアあふれるPRキャンペーンは、2021年の「カンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバル」のPR部門でゴールド・ライオンを受賞し、世界から称賛されることとなった。

なぜ、このキャンペーンが生まれたのか?

 フィンランドは、世界的には小さな国かもしれないが、環境パフォーマンス指数で見ると、世界で最もサステイナブル(持続可能)な国のトップ10に選ばれている。国土の約70%が森林で、18万8000もの湖があることから、欧州連合(EU)内で最も豊かな淡水資源を持ち、また世界で最も空気がきれいな国としても知られている。
 また、国連の世界幸福度調査では2018年から21年まで、4年連続で最も幸福な国に選ばれている。16年には「サステイナブル・ソサエティー・インデックス(持続可能な社会指数)」により、ヒューマン・ウェルビーイング(人間の幸福度)の指数が最も高い国としても選ばれている。そんな同国は、35年までに世界初のカーボンニュートラル(炭素中立=CO2の排出量と吸収量が差し引きゼロになる状態)な福祉国家になることを目指している。
 フィンランド政府観光局は19年に、旅行業界での持続可能性を新たな規範とし、同国を世界で最も持続可能な旅行先の一つにすることを目的に「サステイナブル・トラベル・フィンランド プログラム」を立ち上げた。
 気候変動や新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)は、旅行業が今後生き残るためには、包括的なサステイナブル・トラベルの実現が急務であることを浮き彫りにした。同プログラムは、持続可能で責任ある旅行がニューノーマル(新常態)となり、広まることを目標にしている。そしてサッラは、このプログラムのパイロット地域の一つになっている。
 今回、「サッラ2032」というユーモアあるキャンペーンを企画したラップランド観光局は、サッラを世界で最も持続可能な旅先として紹介し、同時に気候変動に立ち向かうべく、世界に訴えたのである。


「サッラ2032」のポスター。暑さで のぼせたマスコットのトナカイが描か れている
(ラップランド観光局提供)

筆者

電通PRコンサルティング・藤井京子