この記事は時事通信社『地方行政』2022年1月20日号に掲載された記事です。
時事通信から転載許諾をとって掲載しております。


 

SDGsと多様性

 今回は海外の事例を紹介しながら、地方自治体の「ダイバーシティー(多様性)&インクルージョン(包摂性)」の取り組みを、観光PRにフォーカスして論じたい。
 連載第3回(2021年12月2日号)で、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」について触れ、ゴール11「住み続けられるまちづくりを」に注目しながら、自治体による過疎化対策の取り組みを紹介した。SDGsの全17のゴールには、今回取り上げる「多様性」自体を掲げるものはないが、全体に通じる「誰一人、取り残さない」という理念にあるように、考え方のベースには「多様性の尊重」がある。また、ゴール11に付随するターゲット11.7は「2030年までに、女性、子ども、高齢者及び障害者を含め、人々に安全で包摂的かつ利用が容易な緑地や公共スペースへの普遍的アクセスを提供する」とされている。
 われわれは性別、年齢、国籍、人種、民族、出身、思想、信条、宗教、疾病、障害の有無、性的指向など、多様な個性・背景を持っているが、そういった多様性を尊重し、認め合い、受け入れていくことがあらゆる組織で重視されている。企業や学校、家庭内だけではなく、自治体、政府においても同じである。特に、持続可能な社会の発展のために自治体の果たす役割は大きい。
 さまざまな面でダイバーシティーとインクルージョンの実践は可能であるが、観光でそれらを実現した海外のPRキャンペーンを2件、ご紹介したい。一つ目は米国のテネシー州観光局によって、17年秋に実施されたものである。世界三大広告賞の一つである「カンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバル」のPR部門で、18年にゴールド・ライオン賞を受賞し、米国のみならず、世界から高く評価された。

観光資源の差別化

 テネシー州観光局は、米国内および海外からの観光客誘致を課題としていた。同州の最も重要な観光資源の一つに、美しい自然の景観がある。特に、州が誇る国内有数の鮮やかな紅葉が楽しめる秋は特別である。
 しかし米国内の他州も同様に紅葉の美しさを観光客に訴える中、テネシー州は同州の紅葉がいかに特別なものであるかをアピールし、他州と差別化する必要があった。

課題を克服するためのアイデア

 米国では、約1300万人が色覚に異常を持っている。第1色覚異常者は赤の色覚に障害があり、茶色の葉と赤い葉の区別が困難で、単色に見えてしまう。第2色覚異常者は緑の色覚に障害があり、葉が緑から赤、黄、茶に変わっても、その変化を認識する上で困難が生じる。
 テネシー州観光局は同州を、そういった色覚異常を持つ人々が、生まれて初めて紅葉の本当の色を見ることができる場所にしたいと考え、色覚を補正するレンズを備えた双眼望遠鏡(写真)を用意した。この世界初の望遠鏡は、米カリフォルニア州バークレーにあるエンクロマ(EnChroma)社が開発した、赤緑色覚異常を軽減するハイテクレンズを備えていた。
 17年秋、3台の望遠鏡が州内で最も景観の良い場所に設置された。色覚異常のある観光客がやって来て、望遠鏡を通して赤やオレンジといった秋の色を生まれて初めて見たときの反応や感動する様子を撮影し、短い動画として広く共有することにした。

写真提供:TN Dept. of Tourist Development

新しいターゲット層を発掘

 先にも述べたが、テネシー州は紅葉を観光の売りにしたいと思ってはいたが、秋の紅葉をめでる観光地は他にもたくさんあり、競争の激しい状況であった。また、わざわざ旅行に出掛けなくても、自宅の窓から秋になれば紅葉を楽しめるという米国人も多く、紅葉はある種、秋になれば多くの場所で見られる景色となっていた。観光資源としての紅葉は、コモディティー(画一)化していたのである。
 そのためテネシー州観光局は、観光客にテネシーの秋の美しさを新鮮な目で見てもらいたいと考えた。色覚異常の人々に初めて紅葉を見るという体験を提供し、それを通して人々に新たな視点でテネシーの紅葉を受け止めてもらおうと試みた。あちこちのメディアで広告スペースを買うよりも、3台の望遠鏡とハイテクレンズを購入することを選択し、テネシーの紅葉を宣伝するだけではなく、人々に感動を与えるようなインスタレーション(オブジェや装置を置き、場所や空間全体を作品として観客に体験させること)を創造したのである。
 戦略は全く新しいターゲット層、つまり約1300万人に上る色覚異常の米国人に、テネシー州を売り込むということであった。彼らは、これまで秋の紅葉に興味を持てなかった層である。

写真提供:TN Dept. of Tourist Development

感情に訴える動画配信

 眼科医や技術関連の会社、エンジニアの助けを借りながら、テネシー州は赤緑色覚異常を緩和する特別なレンズが付いてはいるものの、見た目は昔ながらの形状の望遠鏡を用意した。そして17年10月26日、州内で最も美しい紅葉を展望できるスポットに望遠鏡を設置した。色覚異常を持つ人々を招待し、彼らにその望遠鏡を使ってもらい、感情的に訴える短い動画を撮影した。
 動画はオンライン上に投稿され、国内メディアにも配信された。秋の紅葉を見られる時期は限られているため、ユーチューブやフェイスブック、ツイッターで、動画を宣伝するための広告を掲出した。
 第1にターゲットとしたのは、自動車での短距離移動でテネシー州に来ることができる21〜54歳の層であった。そして、色覚異常についてインターネットで検索した人々を第2のターゲットとした。この望遠鏡に関するニュースが広がるにつれ、PRチームは好ましい報道をさらに広げていくため、広告の力を借りた。

6.6億の推定表示回数を記録

 キャンペーン動画は公開されると直ちに900万回再生され、すぐに全米のニュースとなって報道された。AP通信、NBCテレビ、ABCテレビ、動画サイト「アップワーシー(Upworthy)」、ニュースサイト「グッド・ニュース・ネットワーク(Good News Network)」などで取り上げられ、6億6200万のメディア・インプレッション(推定表示回数)を記録した。
 色覚補正望遠鏡は、CBSテレビの番組「イノベーション・ネーション」で特集された。土曜朝の放送で、現実社会の課題を解決する世界のチェンジメーカー(変革をもたらす者)にフォーカスする番組である。
 ニュースが駆け巡ると、人々も動く。キャンペーン直後の数週間、望遠鏡が設置された近くのホテルの収入は前年同期比で9.5%伸びた。そして、全米の他州や公園でも同じように色覚補正望遠鏡を置こうとする動きが出てきたことは、このキャンペーンのインパクトを示している。
 テネシー州では現在、他州の要望を受けて色覚補正望遠鏡を生産している。革新的なPRのアイデアが、人生を変えるような製品を生み出し、米国の美しい景色をより多くの人々が楽しめるインクルーシブなものにしたのだった。

広がる色覚補正レンズの利用

 後日談ではあるが、この色覚補正望遠鏡は大好評だったため、翌18年には追加で9カ所に設置され、展望場所はテネシー州内で計12カ所となった。
 さらに、色覚補正レンズはさまざまな施設で導入されるようになった。21年10月時点で、テネシー州の望遠鏡に採用されたエンクロマのレンズは、シカゴ現代美術館(イリノイ州シカゴ)、ジョージア・オキーフ美術館(ニューメキシコ州サンタフェ)など全米16カ所の美術館、4カ所の公立図書館、テネシーを含む四つの州の州立公園、9カ所の学区で採用され、美術・自然鑑賞や教育に利用されている。

日本での可能性

 日本眼科医会によると、日本人は男性の20人に1人が、女性は500人に1人が、色覚に異常があるという。無視できない割合である。
 多様性を推進し、インクルーシブな観光プロモーションを展開する上で、こういった人々にも紅葉や美術を楽しんでもらえるよう、日本の観光地や各種施設でも色覚補正レンズを導入することが可能なのではないか。

米ロサンゼルスの取り組み

 もう一つ、多様性にフォーカスした観光PRキャンペーンをご紹介したい。米ロサンゼルス観光局の事例である。
 17年1月27日、トランプ米大統領(当時)はシリア難民の入国を禁じるとともに、難民受け入れプログラムを4カ月間停止し、中東やアフリカの7カ国からの入国を一時的に完全に禁じるという大統領令に署名した。
 この一部の国の人々を対象とした入国禁止令は、米国の不寛容と恐怖というメッセージを世界に発することになった。また、その影響で米国への旅行者が急減し、観光業界が深刻な打撃を受ける恐れがあると専門家らが懸念を示した。

トランプ大統領の不寛容政策に対抗

 ロサンゼルス観光局のウェブサイトによると、ロサンゼルスの観光事業は、32万人以上の仕事を支える同市最大の産業である。当地を訪れる旅行者は年間4100万人以上で、地域への経済効果は165億㌦、ホテルの宿泊税で1億5800万㌦の利益がある。この大統領の政治方針はロサンゼルスの経済に打撃を与える可能性があった。
 こういった状況下で全米に先駆け、ロサンゼルスはこれまでと同様、海外から訪れる人々を歓迎するという、高揚感にあふれるメッセージを発し、旅行客の減少を抑えたいと考えた。

言語に頼らない

 ロサンゼルスの住民は、もともと世界中からやって来た移民である。そのため、あらゆる人種、国籍、宗教、ジェンダーの人々を歓迎したいという意思を示すことにした。
 観光局が制作した動画には、ナレーションやテロップは一切ない。言語に頼ることなく、視覚的なナラティブ(発信者主体ではなく、受信者主体の物語)を通して、さまざまな人に届くように作られている。
 登場するのは、車椅子に乗った男性、トランスジェンダーの女性、ゲイのカップル、アラブ系、黒人など、さまざまな背景を持った人々で、市内の路上や海岸といった場所で過ごす彼ら彼女らが生き生きと描かれている。登場人物の半数は、街で撮影中にスカウトしたそうだ。プロの俳優やモデルはおらず、演出も行っていない。
 動画は17年4月にフェイスブック、インスタグラム、ツイッター、微信(ウィーチャット)、微博(ウェイボー)など、国際的なソーシャルメディアのプラットフォームで公開された。それらに投稿された動画は、さらにそれぞれの国のインフルエンサー(ネット上で影響力を持つ人)によって拡散されていった。

145のメディアが掲載

 動画は1300万もの視聴回数、4120万のソーシャルメディアでのインプレッションを記録し、予測していた重要業績評価指標(KPI)を1250%上回った。視聴の半分は、トランプ氏が国境沿いに壁を造るとしていたメキシコからであった。同国はロサンゼルス観光局にとって、特に重要な市場である。
 ロサンゼルスのエリック・ガルセッティ市長や五輪・パラリンピック招致委員会、米大リーグ(MLB)の地元球団ドジャースに加え、音楽業界誌「ビルボード」、エティハド航空(アラブ首長国連邦の航空会社)なども、それぞれのソーシャルメディアのチャンネルで拡散させた。
 ソーシャルメディア以外にも、新聞「USAトゥデイ」「ロサンゼルス・タイムズ」、雑誌「フォーブス」などを含む145のメディアに掲載され、7億6200万ものメディア・インプレッションを記録した。
 こうした取り組みが奏功し、17年は米全体では旅行者数が減る中、ロサンゼルスは予測を上回り、全体では4830万人、海外からの旅行者数は7年連続の伸びを示し、710万人を記録した。

勇気を示した先手必勝のキャンペーン

 ロサンゼルス観光局のキャンペーンは、単に多様性を示した動画を制作し、拡散させただけではない。大統領が入国制限を行おうとしていたとき、その方針に立ち向かい、全米でいち早くキャンペーンを展開したのである。勇気を要することであり、称賛したい。

 以上、多様性と観光PRについての事例を紹介させていただいたが、日本でも高齢者や障害者を対象にしたユニバーサルツーリズム、「LGBTQ+」などの性的マイノリティーをターゲットにした多様性マーケティングに取り組む自治体が増えている。
 大阪観光局は25年の大阪・関西万博を見据え、性的マイノリティーの人々を誘致していこうと取り組んでいる。LGBTQ+の人々は国際旅行市場で一定数の割合を占め、観光消費額が高いといわれている。
 こういった取り組みは大変良いことではあるが、多様性にフォーカスしたPRやプロモーション・キャンペーンを展開する上で、注意すべき点もある。「SDGsウオッシュ」(実態が伴っていないのに、SDGsに熱心なふりをすること)である。
 いったん取り組むと決めたら、表面的な宣伝だといわれないよう、実態が伴い、きちんと成果やインパクトを示すコミュニケーション活動を展開することが望ましい。

筆者

電通PRコンサルティング・藤井京子