4月21日(日)電通ブースで写真撮影
アジア最大級のLGBTQ+関連イベントである「東京レインボープライド2024」が4月20日(土)~4月21日(日)の2日間、代々木公園で開催され、私も初めて参加してきました。時間がたってからの投稿となりますが、忘れないうちに思ったことをブログとして投稿させていただきます。
東京レインボープライドは、LGBTQ+当事者ならびにその支援者(Ally)と共に「“性”と“生”の多様性」を祝福するイベントです。今年は314の団体が参加、当社のクライアントも多数参加していました。イベントは盛況で、延べ動員数は約27 万人と過去最高となりました。電通グループもブース出展し、3,000人以上が来場。当社の社員もボランティアとして参加しました。
私自身、学生の頃、ゲイの方との交友関係もありましたが、当時はまだマイノリティの人たちという目線で見ていたのが正直なところです。しかしこの日の代々木では、当然ながらLGBTQ+当事者やアライの方々がマジョリティで、圧倒的にエネルギッシュでした。人生を謳歌(おうか)しているゾ、というエネルギーに満ちていたと思います。
会場には、親たちに連れられた低学年とおぼしき小学生も少なからずおり、うらやましく感じました。子供たちは、今は意味が分からないながらも、このイベントを楽しんでおり、こうしたLGBTQ+の人たちをはじめとする多様性を当たり前の環境として受け入れ、あまり悩むことなく、多様な常識観の中で育っていくのだろうな、と感じたからです。逆に、大人たちはというと、知識が先行してしまって、当事者らにどう接していいのか、どういう表現が適切、不適切なのかの戸惑いから、コミュニケーションに自信がないと感じる人もいるのではと思いますが、私は、子供たちの姿勢に見習いたいと、強く感じました。
このような機会は、当事者の方々が、最も自分らしさを表現できる場として強いパワーを持っているように感じます。目標を成し遂げようとする者の充実感と一定の地位を獲得してきた誇りを感じます。また、自分を含む多数派は「安穏と暮らしてきた人たち」なのだということを改めて気づかされ、自らの特権性を顧みて、当事者に対して自分ができるサポートをしていきたいと心に深く刻みました。
伝統的な日本の共同体社会(ゲマインシャフト)では、均質性の高い集団の前提で、「あうんの呼吸」「以心伝心」などの暗黙知によって、多数派が少数派を排除する無言の圧力をかけていたことが多かったと思います。今後は、多様性を前提に価値の総和を広げる社会(ゲゼルシャフト)を想定すると、それぞれの価値観や行動や作法などを一つ一つ明文化、可視化していく必要があるのを感じます。多様性を前提にすると、各個人の過去の人生の蓄積の全てとそこからの生きざまは、完全には分かり合えないものだという立場からスタートしなくてはならないので、相互理解に向けた意識的な努力が必要になります。それぞれの人生経験に基づいたインサイトや主張にも、相応の正当な理由があるので、分かり合えないところからスタートし、そこから、何をどこまで共感できるものなのかに焦点を当てていくことになるのだと思います。今回のイベント参加は、LGBTQ+のイシューにとどまらず、あらためて日本の社会構造の変化の必要性を考えるキッカケとなりました。
こうした共創の課題の仕事となると、われわれPRプランナーたちの腕の見せどころです。まさに東京レインボープライドのような、当事者やアライの方、LGBTQ+団体、行政、企業などが共通の目的のもと一同に集合し、共感を生み出せる場があることは、皆それぞれが変化や成長を遂げるいいキッカケになると思います。特にこの数年、企業の協賛・参加数の伸びが著しく、イベント参加者の当事者の人たちの中には、マーケティング利用されているのではと、このイベントの存在意義について問う声もあると伺いました。不純な思いでマーケティング利用しようと意図的に行うような企業は、実際にはないと思いますし、そう信じたいですが、当事者の方にそう思われては元も子もありません。日頃から企業として取り組んでいる内容やメッセージとともに丁寧に発信していくことが重要と感じます。
過去には、当事者の方々が存在を無視されたり、拒絶されるようなことも現実にありました。しかしながら、私の目には、少しずつしかし確実に世界はよい方向に進み始めているように見えます。二度と時代が逆行することのないよう、過去の苦悩を乗り越えた努力は、歴史の教科書になればいいと考えます。最初は、小さく孤独に戦いながらも、やっと問題を声に出し共感してくれる仲間が増え、今はむしろ、大企業が共感して、世の中が動いているのであれば、それは「小さな行動から起こった、大きな変化」の一つ。今後も、私たち企業ができることを世の中に対して貢献していきながら、みなさまと一緒に次の新しい教科書づくりをすることが、「自他共栄」「精力善用」に通ずると考えた次第です。