集中も極限まで高まると、人間このような様子になるのか。視線は、ここではないどこか遠くを探るようであり、足取りは、ここではないどこかをさまよっているようでもあり。ボクサー村田諒太は、このようにしてリングに向かっていた。
 しかし、リングに上がるや、いつも通りに大きな姿を見せた。いや、むしろ、いつもよりも大きく見えるぐらいだった。
 対するは、ゲンナジー・ゴロフキン。カザフスタンの英雄である。試合前の専門家筋の見立ては、ゴロフキンにやや有利。されど、村田にも充分にチャンスはある、といったところか。
 そんな事前の予想など、実際に試合が始まってしまえば、まるで意味を失ってしまう。現に目の前で繰り広げられている闘いが全てであり、そこで起きていることの真実は当事者にしか分からない。そう、見守るわれわれにとっても、リング上で起きていることの詳細にまでは理解は及ばないのだ。
 この日のためにあらゆる犠牲を払い、己をギリギリまで追い込み、ただ相手と向き合う。持てる力が尽きるまで、磨き上げた技をひたすら繰り出し続ける。攻めにひるまず、守りに退かず。ロープを背負い、もはやこれまでと思わせるも、逆襲の腕を伸ばす。
 見事としか言いようが無い。幾つかの村田の試合を見てきた眼にも、この試合が特別なものであることは瞬時にして感得できる。今、われわれは最高のボクシングを目撃している。
 幕切れは一瞬のことだった。ゴロフキンのパンチによろめく村田の頭が、わずかに沈んだ。そのまま更に深く。白いタオルが舞い、セコンドが駆け寄る。リングに膝をついたままの村田の口元には、「すみません」というつぶやきが見えたような気がした。
 詫びる必要などは微塵も無い。ボクサー、そして人間村田諒太は、美しい生きざまを披露し切ったのだから。
 会場には、「村田ありがとう~!」の声援が響き渡った。その気持ちに全面的に賛同する。感謝。その一言以外に言葉など必要だろうか。
 闘いを終えた村田の視線は、今どこを見据えているのだろうか。それがいかなるものであるにせよ、確かな歩みを進めることに何ら疑いの余地は無いように思える。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。