毎日こんなにも熱心に、かつ真剣にデータを見ているのは、社会人になって間もない頃以来かもしれません。

 データというのは、切り出し方や受け止め方によってさまざまな意味を持つものですが、その意味は大きく二つに分けることができると思います。ポジティブなものかネガティブなものか。

 全体の中で好ましくない点だけに焦点を当てて、全体としての好ましい傾向はあえて素通りする。見方が分かれる場面で、ついつい悲観的な視点を持ってしまう。人間というのは、得てしてこういう性質を持っているものです。

 できていないこと、うまくいっていないことをあげつらって、批判や批難をする。このことについては、別に構わないでしょう。ただし、そこに代替案がある限りにおいてです。安全なところにいて単に責めるだけなら誰にでもできるし、それだけでは何も新しいことを生み出さないからです。

 そんなことを考えながら、日々データを見ています。基本的にはポジティブな立ち位置で。理由としては簡単です。仮にネガティブな姿勢を決め込んだとしても、この大きな状況に対して有効な代替案を自分自身持ち合わせていないからです。できることといえば、ただ一つ。自分自身と周囲を守るために、自分のできることに集中する。一人一人の人間にできることには限りがありますが、それらが集まったときに大きな流れになるのもまた真実ではないでしょうか。

 この一人一人というのが、とても大事だと思います。データやグラフを見るにしても、その中に確実に存在する一人一人に思いをはせる。日々の苦闘や奮闘、その先に見据える希望。個々の人間たちの営みの集積の結果が、あのデータであり、あのグラフなのだと想像を巡らせます。

 そうすると、できていないことよりもできていることの方が見えてきます。ダメなところよりも良いところが。こんなふうに考えてみた方が、精神衛生的には断然良いと思います。特に、大勢が悲観に流れがちな局面においては。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。