月並みな表現ですが、昨年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」は、出色の出来であったと思います。具体的に見ていきます。

 まずはキャラクター設定。若き日々から終盤にかけて徐々に迫力を増していく、主人公の明智光秀。序盤に強烈な印象を残した斎藤道三。今までのイメージと一線を画した織田信長。終始鬼気迫る松永久秀。いやらしさ満載の木下藤吉郎。フィクサーとして不気味な帰蝶。要所要所で鍵を握る伊呂波太夫。そして、重厚さと神秘性抜群の正親町天皇。その他にも、なかなかのくせ者ぞろいでした。

 次に、衣装の見事さ。昨年2月に京都府亀岡市の京都スタジアム内に開設された「大河ドラマ館」に行った時のこと。実際に撮影で使用された衣装の実物が展示されていましたが、織りのきめの細かさに息をのみました。画面越しにも肌触りが感じられるようなクオリティーです。

 それから、美術。中でも、第40回の安土城大広間には度肝を抜かれました。さすがNHKさんと言う他ないです。特に、安土城は現存天守閣が無いため、一部でも目に見える形で再現されるのは、お城ファンにとってはたまらない喜びです。

 脚本についても、細かい史実を軸に虚実織り交ぜ、有り余るエピソードを収斂(しゅうれん)させた手腕は素晴らしいの一言です。

 と、ここまで絶賛の筆致ですが、実は一番触れておきたいのは、芝居の「間」です。情報過多で、テレビを見ていても音声や音楽が隅々まで詰まっていて、どうしても受け身にならざるを得ない昨今、このドラマにおけるセリフとセリフの間に存在する「間」は、思考の余地をこちらに与えてくれました。

 すべてを説明されない中で、登場人物がその時に何を考えているかを想像する、人物と人物との関係性が変容していく様を言葉無くして感じ取っていく。そういったことを自然と視聴者に委ねる心地よさが、そこには存在していました。

 実は、これこそ私たちが創作物に触れる理由なのかもしれません。情報の奔流に呆然とするのと異なり、思考を刺激する媒介としての創作物に向き合う。ドラマに限らず、アートにも音楽にも小説にも当てはまるのではないでしょうか。

 今回の大河ドラマで明智光秀への興味が喚起された方々には、併せて、『国盗り物語』や『光秀の定理』などをお読みになることをお薦めします。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。